2023/12/09 01:50

「少にして学べば、

壮にして成すことあり。」

「壮にして学べば、

老いて衰えず。

「老いて学べば、

死して朽ちず。」


これを誰が言ったかとかは、

いろんな所で紹介してるので


実践としてのお話に

重点をおきます。


これは、一見、

勉強は、大切だよ。

そう言ってるように聞こえます。


でも、実は違う


"学び"には、「識」と

「問」があります。

平たくいうと、

知識と学問。


知識は、学び、

知っていること。

だから、言わば

「もう出来ること。」


これを指します。


そして

学問とは、学び、

問うこと。

なので、

「分からず、分かろうとする。

そして、出来ようとするさま。」


陰陽の先生達の言葉を見ると、

なにかと、

智恵と行動は、一緒だよ

田畑を耕していたって、

(今なら、座ってパソコン

していたって)


本気なら学びになるよ

そう、言ってます。


では、その本気とは何か?


これを説明するには、

少し五行(ごぎょう)を用いると

わかりやすい。



"人の人生には、ひとりひとり

その長短はあるけど、


どんな短い人生であっても、

その人生の中に、

春夏秋冬がある。"


照らしあわせてみると、、


少とは、生命が春の時。

しっかりと、ことわりに

「なぜだろう。」と

問い続け、起こることを

受け止めていく。


壮とは、生命が夏の時。

ことわりを、自分なりに

「実行し、試し」起こることに

なぜだろう。と向かい続ける。


老とは、生命が秋の時。

結果が実り、いい実りも

悪い実りも、世界に一つの

結果として、作用をもたらす。

よい結果も悪い結果も、受け止める時。


死とは、生命が冬の時。

実りが熟し、

次の世代に、

道しるべとして、残る。


要は、

なにをしていても、

自分の周りで起こることに


「どんな意味があるんだろう。

「どうやって、やろうか。」


それを"問い"

実行していったらいいよということ。


情報の多い昨今、、、、

学びとは、

知識を多く持つことと

勘違いされがち。


ではなく、

ことわりをもって、

悩みは、喜びに。


喜びは、より大きな

喜びに。


人生では、

ことわりに出会った時は、

静かに学び。(少にして)


修業とは、ことわりを

守りながら困難に

立ち向かい続け(壮にして)


結果とは、やり続けた果てに

ある、その人自身の

魅力の結晶であり(老いて)


その先にあるのは、

未来のいしずえ。(死して)


だから

陰陽では、

自然に対し

天に対し

地に対し、



問い続け、

学び続けていくんです。